相続開始は突然に

娘「ほら早よ服脱いで、綺麗にせなあかんやろっ」
母「嫌やなあ、冷たいなあ、寒いなあ」

70歳の娘と95歳の実の母との会話でした。

高齢のお母様が食べこぼしを、娘さんがお風呂で綺麗にしよう、という、ごく普通の会話。

1年近く前のことです。
雪が舞う寒い1月のお昼過ぎ、実の母娘はお風呂に入られました。

別件でそのお宅に居合わせた私は、微笑ましいなんて呑気に、注意を払わず、見過ごして聞き流していました。

とても可愛らしいおばあさまは、いつお会いしてもにこにこしていらっしゃる方でした。

お分かりと思いますが、過去形なのです。

冒頭の会話の40分後、私は用事を済ませてお宅を出ました。
冒頭の会話の2時間後、おばあさまは亡くなりました。

診断書の死因に意味はありません。
お餅を喉に詰まらせて、お亡くなりになりました。

お孫さんのために用意したお雑煮を、娘さんがダイニングテーブルの上に置き声を掛け、お孫さんが自室から階段を降りてくるまでの、ほんの1分ほどの隙間時間だったそうです。

ご高齢のおばあさま直伝の味噌仕立てのお雑煮、しかし嚥下が困難とわかっているから見えないよう別室のダイニングテーブルに置いたのに。

隣室でテレビを観ていらしたおばあさまが、どのタイミングでなぜお雑煮を口なさったのか、今はもう知る由ありません。

お孫さんに声を掛け、玄関を掃除していた娘さん、階段を降りてきたお孫さん、何事もない普段通りの雪の日の午後、お二人は顔面蒼白で呼吸を止めたおばあさまを発見、救急車は間に合っても、おばあさまが意識を取り戻すことはなく、病室にて息を引き取られたということです。

混乱のなか、私のiPhoneにお電話をいただき、Uターンしました。

たった2時間とすこし前に、可愛らしく笑っていたそのお顔が、死んでいました。
礼を欠いた表現ですが、現実の死に顔というのは、他に表現しようがありません。
お亡くなりになって、ではなく、ただ、死んでいるのです。

助成金についての前向きなお話のために訪問したお宅で、突き落とされるような死との直面。

他人ならではの冷たい機械的なお手伝いをいたしました。

気が重いことに、おばあさまはM県に不動産を所有していらっしゃいました。
7年前に亡くなられたおじいさまからの相続ですが、予感はあたり、未登記でした。

娘さんには県外に住む弟さんがいらっしゃいます。
葬儀を終え、お香典返しの手配を済ませ、後続の諸々の手続きが終わりに近い頃、あぶり出したように、残された不動産に話が及んだそうです。

最初はなんらの争いもなく、半分ずつ相続することで話がついたとか。
しかし、相続の対象の不動産は複数あり、面積が広いが地価が低いもの、面積が狭いが地価が高いもの、混在します。
何をどう1/2とするのか、全てを1/2とするのか、欲ではなく、早く簡単に終わらせたいために各々が他者へ相談したところ、争いの種が撒かれました。

おそばにいながら、ただ漫然と過ごした自分を責めたものです。

遺言書の勧め、娘さんになら話せた内容でした。
95歳のおばあさまにはお話できませんでした。

人生の終わりに出会うとき、残るものにできることは、後悔を減らすだけ。
後悔しないなんてあり得ないのです。せめて減らしかないのです。

逝く側ができること、望むこと、遺言書に重さを実感しております。

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